| 植薄: |
5月23日に官報に告示され、これで完全に手続きを完了した訳ですが、ここまでに至る中には、地元の松村先生には地域対策特別委員長として陰に陽にご指導をいただきました。このことで非常に高い同意率で議会の議決がなされました。これは確かに中球磨の地形、地理、住民の生活圏が密接に絡んでいる基盤があればこそでありますけど、先生には県庁と一生懸命繋いでいただき、早くから職員を派遣していただいたり、モデル地域として指定をしてもらったお陰だと思います。今、職員一丸となって最後の詰めをやっているところです。
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| 松村: |
この合併問題については、私が昭和62年に県議会に入ってからたびたび取り上げられて、その論議のたびに球磨郡の名前が上がっていました。よその議員からも、今のような小さい町村で今後やっていけるのか、中球磨は条件は揃っている、という話があり、私どもも早くその時期がこないものかと努力していましたが、県は町村の自主性を尊重して、自ら音頭をとることには消極的でした。しかし議会では、県がしっかり応援しなければできないと尻を叩き、その結果県もマップを作り、中球磨をモデル地域にお願いしたのです。これは中球磨が町村を結ぶ道路も整備され、地域性としても一番やりやすいだろうということになったのです。私ども地域対策特別委員会でもそのような論議を重ねてきたのですが、まず地元の町村長さんたちが、何が何でもやるんだという住民の気持ちを受け取っていただいたのが大きな成果じゃないかと思います。メリット、デメリットについても十分協議し、町村議会でも論議を重ねて決定されたことですから、これこそ本当の合併ではないかと思いますね。合併については、委員長をしていましたから、ここにきて町村長さんたちと座談会をしました。その時に「ムチだけでアメがないじやないか。県はモデル地域として何をしてくれるのか」という話がありましたので、帰って検討したのですが、ちょうど県も十億円を限度に助成をしようということを打ち出していましたので、それを、合併してからでは遅いのではないか、合併までにいろいろとやらねばならない仕事があるということで、先取りしてやった訳です。わずか八億円ではありますが、そうしないと合併に向けての施設の整備などが町村の持ち出しとなって財政を圧迫しますから、これはよかったのではないでしょうか。ともあれ来年4月1日の合併を待つばかりになったのですが、これはやっぱり町村長さんはじめ、議会、地域のリーダーの皆さんが時代の流れをよく認識してもらってご苦労していただいたお陰だと思っております。これからの新生あさぎり町の誕生に向けてお手伝いしなければと思っています。 |
| 植薄: |
この八億円については、はじめ県も合併してからという話でしたが、支度金もいるからと県にもお願いし、先生にも努力をいただきました。八億円の使いみちは五億円が共通経費として電算組織や仮議場、体育館を仮事務所とするための経費などに使っています。残り三億円は、各町村に配分して自由に使ってもらっています。 |
| 松村: |
1月15日に同文議決をいただき、県の当初予算に組むことができました。県は当初、合併したところに交付するということでしたが、調印も済ませ、同文議決がなされたということが決定打となったと思います。 |
| 植薄: |
あさぎり町となってからも、国・県道、町道などの整備を最優先でするという県のお話もいただいています。大変ありがたいと思います。 |
| 松村: |
やっぱり中球磨の合併が引き金になって県下に合併の動きが広がったのは間違いないことですから。町長さんのご苦労は並大抵のことではなかったと思いますよ。いままでできなかったことをやる訳ですから、これは大事業ですよ。 |
| 植薄: |
そうですね。何といっても百年の大計ですから。 |
| 松村: |
何といっても人口が減っている訳ですから、若い人の生産力も低下する。そうすると自主財源が減って、小さい町村ほど住民の要望に応えられなくなりますね。そういうことを町村長さんが良く認識されたことが合併できた要因と思います。まず過疎になって人口が減っていることが一番ですが、いい意味では道路が整備されて町村間の距離がなくなったこともプラスになったと思いますね。 |
| 植薄: |
時代がそういう時代ですから、座談会を開いてもそういう声が跳ね返ってきていました。それと五か町村の二千ヘクタールの圃場整備を一部事務組合でやったことや下水道をいっしょにやったことも大きかったですね。 |